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コバタクの経営はつらいよ。ー有限会社さかえやー

コバタクの経営はつらいよ

今回、コバタクの経営はつらいよ。にて、経営のつらさを一緒に噛み締めていただくのは、有限会社さかえや 山本社長です。

さかえやさんは、東武日光駅前に本店を構え「揚げゆばまんじゅう」「日光ゆばまんじゅう」等のお土産を販売している会社です。
会社名:有限会社さかえや
URL:https://nikkosakaeya.business.site/#summary

さっそく始まる前から、本の話題で盛り上がっています。

山本社長との出会いは、8〜9年前に行っていたイベントで知り合い、今でもご連絡を取らせていただいてる方です。経営者として尊敬する方の1人ですし、色んな状況の中でも。ご自身で考えて動いてる方なのでぜひこの機会にお話出来ればと思います。

koba:本日はよろしくお願いします。

山本社長:よろしくお願いします。

経営は楽しい?!

koba:単刀直入なのですが、会社経営ってつらいですか?

山本社長:最初っからすごい質問きたね(笑)
自分は、お金をもらう側つまり、従業者ではなく、お金を支払う側、経営者でありたい。だからこそ、つらいことも乗り越えられるのかなと思います。 

koba:では、なぜ経営者でありたいのですか?

山本社長:一言でいうと楽しいよね。
トップの舵取りで、その会社が存続するか潰れるかっていうはっきりとしたゲームというか…ゲームといっても命のかかった、お金のかかった大切なゲームなので…
だから…経営は楽しいね。つらくは無いね。

koba:おぉ、タイトルが最初から崩れましたけれど(笑) 続けていきますね!
山本社長自身は幼い頃に、一代目・二代目社長の姿を見ていて、自分は社長になるんだなぁって感じたりとかしてたんですか?

山本社長:当時はまだ事務所と自宅が別れてなかったので、ランドセルを背負ったまま、お店に帰ってきてたんですよ。観光客をターゲットとした東武駅前のお土産屋と食堂に、ただいまーって。常連の人達とかもおかえりーと。

両親の協力もあり小中高と部活のアイスホッケーに熱中していた生活の中でも、高校生時代から繁忙期は、皿洗いとか、お店の仕事をやっていて、長男だったので、ぼんやり自分が継ぐのかなとは思っていました。

揚げゆばまんじゅうができるまで

koba:最初はお土産屋さんと、食堂だったわけですが、なぜ、揚げゆばまんじゅうが誕生し、ここまで至ったのかのストーリーをお聞きしたいです。

山本社長:そもそもその時は、お饅頭やろうだなんて思ってなかったし、2代目の後継として、継ぐのだろうなと。
ちょうどバブルが弾けて、色んな会社が潰れて大変な時期だったけど、大学卒業してから、すぐに両親の会社に入らず、社会勉強として社会人を5年やらせてもらって、ありがたいことにゴルフから接待・事務、作業服を着てフォークリフトに乗ることも、色んなことをやらせてもらいました。一緒に組ませてもらった人が人格者で、それもすごく良かったと。

それを終えて、お店に帰ってきたら自分が知っている賑やかな日光のお店じゃなくなっていて、お客さんが居なくなっていて…
1年目は、厨房で調理・経理とかの裏方をしていて、喧嘩をしながら進めていたんだけれど、やっぱり母も悩んでいたみたいで、体調も崩してしまって。接客をしてくれていた母が店にいないと、よりお客さんが入りづらくなってしまいました。

喧嘩して、やっと決算書を見せて貰ったんだけれど、当時の自分はまだ見方を知らない。この後必死に勉強したから、今でこそバランスシートという貸借対照表に当てはめて見れば分かるんだけれど、当時はまだ分からなかったから、宇都宮の勉強会で知り合った人に見てもらったんですよ。

そしたら、個人のお金がどれだけあるか分からないけれど、1ヶ月半ももたないんじゃない?

って言われて。両親に伝えたら、2人とも泣き崩れて、個人のお金も無いと。
まじかと。本気で逃げるしか無いんじゃないの?って。

山本社長:じゃあどうしたかって言うと、今までと同じことやってもダメなんだから変えなきゃいけない。それが、お饅頭の製造だった。

今までは仕入れたお饅頭を売っていて、売れた金額の8割は製造者に支払ってたんだよ。大変だけど、自分たちで作ろうよと。2割が原価、8割が儲けになるからそこを狙おうと。

事業計画書を作って、なんとか銀行から融資を受けることができ、講習会に行って、お饅頭の製造機を購入し、おいしいお饅頭の配分・レシピを試行錯誤していきました。

koba:家族で荒波に揉まれながら、今までとも他とも違う選択をして、お饅頭にたどり着いたんですね。その中でどういった様に、最終的な今の揚げゆばまんじゅうができたのでしょうか?

山本社長:最初は普通の茶饅頭だったし、それなりに売れたんだけれど、せっかく日光に来たお客さんは、何を求めているのかを考えたわけ。

koba:正直、お客さんって、お饅頭だけを買ってるわけじゃないですからね。

山本社長:もちろん、思い出も一緒に買っているから、ご当地グルメなんですよ。

「日光来たらなんとか饅頭」っていうのを考えてたので、日光ゆばを皮に使った、日光ゆばまんじゅう、揚げゆばまんじゅうにたどり着きました。食堂やお土産との比率を三年ぐらいかけて徐々に変えていきました。

5倍つらい。

koba:新型コロナウイルスっていうパンデミックが世界的に大流行し、外出制限など観光に行きづらい年が続いており、 ここにある本がまったく通用しなくなった状況についてなんですけど、やはりお客さんは減りましたか?

山本社長:(笑)

koba:コロナ中当たり前なんですけれど。


山本社長:まあ、創業65年目に入って、コロナの期間以外でも大変だった時期はあって、自分の中だと3.11東日本大震災の時。日光に人がいない。どんなに暇でも5000人は人が入る日光東照宮で、13人だった日があるぐらい、人っ子一人いない。

ただテレビの番組で、日本最大復旧の悲しみだけど、このままずっとやってたら地方が苦しむって言ったんですよ。だから、ゴールデンウィークは、観光に行きましょうよって。そこから、お客さんも来て、乗り切れましたね。

1つここで、ターニングポイントなんだけれど、3月中に実は、福島にあるホテルの片付けにボランティアで行ってたんですよ。被災されたホテルの経営者さんが、最初と最後ぐらいお礼に来てくれて、帰ります。って時に、

「あの、私らは大丈夫だから。皆さん頑張ってください。」

って言われて、これ自分が、助けに行って助けられてると思ったら、その辺りからね、もう怖いもんないよね。そこからもう待ってるだけじゃなくて、自分から 売りに行けるキッチンカーっていうのが発案されました。何が起こるかわからないから。

山本社長:長くなって、申し訳ないのだけれど、その時の3.11から今回は5倍つらかった。

koba:なぜ、5倍なんでしょうか?

山本社長:3.11は、1ヶ月半で終わったからね。確かに、汚染されて大変な部分も、風評被害もあったけれど、ゴールデンウィークには、ぐっと忙しくなっていたからね。コロナという名前が出てきてから、3ヶ月、半年我慢したらどうにかなるんじゃないのなんて、考えてたら、2年でしょ。たくさんのところが潰れて、いろんなことが変わったでしょう。

だから、5倍はつらかったね。

koba:そのつらかったというところをどの様に会社として乗り切ったのでしょうか。

山本社長:お店は1日たりとも閉めなかった。お酒は提供してないし、夜も営業してないから補助金も出ないからね。何より、お客さんが来てくれていたから、閉められないよね。

宇都宮とか、小山から買いに来てくれる人がいたから。そこで、県内のお客さんがみえてきてきました。てっきり観光客だけかと思ったら、地元のファンの方がいらっしゃって、その方たちが大体3割ぐらい支えてくれてる。

もう一つは、絶対に社員の雇用は確保しようと決めた事。なぜならば、忙しい時に対応できなくなることこそ会社にとってマイナスだと。

人を削るということは、サービスが落ちることなんですよ。今まで提供していたサービスが、提供できなくなると確実にリピーターさんを失うことになる。加えて、今は完璧に口コミ社会だから、外国人も含め、Googleのビジネスプロフィールを見てくる人がすごく多いんですよ。今まである程度いい評価を貰っていたホテル、食べ物屋さんの口コミを見てきた人が何だこれはってなるわけですよ。

それだけは避けたいと思いました。さかえやは、雇用を確保して、いつでも今までと同じサービスを提供すると決めました。

koba:会社姿勢がやっぱり、口コミにでるから、それを常に維持する事が大切なんですね。それを考えていなかった会社が今、結構つらいということでしょう。

山本社長:そうだね。人はものじゃないからね。心があるから、人を削った業界、ましてやその会社に戻ろうだなんて思わないからね。

耐え忍んで、準備もしてきたさかえや

koba:最後に、2022年から2023年。これからさかえやは、どんな風にしていくのでしょうか。

山本社長:外国人の規制も撤廃になるし、全国版Go Toトラベルも解禁されるし、ここまで耐え忍んだ観光地はめちゃ強いと思う。

あとは準備したかしてないか。自分は、本店でガッツリ稼ごうと思ってるから…稼ぐって言葉はあれだけれど、お客さんを喜ばせないと絶対自分には帰ってこないんですよ。そのために、別の事業をたたんだり、価格を調整したり、しっかり準備をしてます。

koba:確かに、準備が9割ですもんね。本日はたっぷりお話し聞かせていただき、ありがとうございました。以上で取材は終わりになります。

まとめ

「経営は楽しい。」から始まったこの対談でしたが、揚げゆばまんじゅうができるまで、東日本大震災、コロナ禍、様々な「つらい」を伺わせていただきました。これから起業を目指す方、2代目・3代目になる方に、経営や成長の役に立てるよう今後も「つらい。」を集めていきます!